過去の野外手帳
-2011年10月
10月最終日曜日
こんな風景の中、ジョウビタキを探して歩いてみたのですが不発。もっとも初認したジョウビタキがそのままそこに居着くのか、それとももっと南?へ移動していくのか、浅学の身には分かる由もありません。
2011年11月なかごろ記
畦道は発見に満ちている
マイクロレンズを付けて畦道散歩。10月下旬の光景。
2011年11月なかごろ記
虫屋との議論に疲れて森を歩いた頃
10月下旬の灯台もと暗しの森の森です。
ここに来るたびに妙に気になっていた立派な立派なジョロウグモは、巣だけ残して姿を消していました(画像右上)。存在感ある彼女だっただけに、ちょっと残念でした。
歩き始めてすぐにメジロを見ました。最近のここは鳥影が薄かったのですが、季節が進んで少し様子が変わってきたようです。
あまりここでは見ることのないアオジを見た後、待望のジョウビタキを確認。雄1羽。今季の初認です。
その他、シジュウカラ、ヤマガラ、ヒメアカタテハ、カンタンなど。
この頃(10月下旬)、ツイッター上で虫屋さんと希少種の採集圧について議論中でした。
とある虫屋さんが、「毎年昆虫採集を楽しんでいた雑木林が突然伐採され宅地に変わってしまったときの喪失感を理解できるのは昆虫採集愛好家だけなんだろうなぁ。」(引用元)という発言をしていました。
それと並行して「鳥屋は偽善者」(参照元)(こちらも)発言や、「天然記念物指定は昆虫愛好家への差別」発言(参照元)もしていました。この方は研究機関の研究員だそうですが、もういい年した大人が、どうしてこうも被害者意識ばかり強いのだろうと不思議な感じがしました。
例えばこの森が失われたとして、そのときに喪失感を感じるのは虫屋さんばかりではないでしょう。もっとも、ここで虫屋さんを見たことはありません。捕虫網を持った親子連れは見たことがありますけど(鳥屋さんもほとんど見かけません)。
この間川で遊んでいた子どもたちも、時々出会う散策を楽しんでいるおじいちゃんおばあちゃんも、春に見かける山菜採りを楽しんでいる人も。虫屋ばかりが特別な存在ではありません。この虫屋さんの考え方が、虫屋さんを代表する意見ではないことはその後分かったのですけど。
2011年11月なかごろ記
干上がり大座法師池見物
10月下旬、帰省中の姉と父母、妻とで大座法師ドライブ。水抜きをされた姿はまあ話の種にはなると思いまして。この飯綱高原のため池の水抜きについては「自由研究」を読んで下さい。奥に人造ため池ならではの堰堤が見えています。
現在の飯綱高原はカラマツの落葉が盛んで、道路は茶色に染まっています。
2011年11月なかごろ記
里山秋色
小雨模様でしたが、家にいても何なので近所の里山へ。こんな道を通って登山口へ(10月下旬)。
先日買ったばかりの60ミリのマクロレンズを持って行きました。ニコンのDXフォーマットでは90ミリレンズ相当の画角になり、中望遠レンズをつけたような形になります。風景写真には難しいと思いましたが、肉眼で注視したときの感覚に近いです。
この山で一番好きな場所で、こんな写真が撮れて満足。シャープです(これはトリミングしてリサイズ済みですが…)。
森は色づき始め。
山頂が近づくにつれてガスがかかり、幻想的な秋の道になりました。
主調色は緑から黄色へ。
2011年11月はじめ記
リンゴ美し山麓歩き
自宅近くの里山の山麓を歩きました。狙いは冬鳥の初認。でも、この日は外れでした。
収穫前のリンゴが美しい。都会の人には何にもないところだねと言われそうですが、何にもないなんて、何にも見えないんだね、ということです。
雑草という名前の草はない、なんて言うほど植物に詳しくないです。だから、雑草とか雑木林って言葉を使ってしまいますが、こんな場所をおもしろがって歩ける人でいたい、いつまでも。
昆虫にも詳しくないのでトリバガの仲間としか分かりませんが、最高にかっこいい。名前を知ればもっと楽しいのでしょうが、知らなくても山麓歩きは楽しからずや。
2011年10月おわり記
10月下旬の灯台もと暗しの森
暖かさの戻った10月下旬。灯台もと暗しの森はやはり虫多し。覚悟していったのですが、メマトイがひどく、落ち着いて歩くことができませんでした。ただ、今回は蚊は気になりませんでした。
名前は分からないものが多いのですが、いろいろな実が目を引く森。中でも美しいと思ったのは、前回はまだ緑色だったヤブランの実です。黒くなりかけの実は宝石のような輝き。とはいっても、本物の宝石なんてろくに見たこともないのですが。
森の緑色は薄くなり、秋色間近です。
鳥は低調でしたが、最後にカナヘビに出会いました。
2011年10月おわり記
4人の志賀
10月中旬とは思えない暑い日でした。志賀の紅葉がちょうどいいことが分かっていて、天気もいい絶好の行楽日和ということで、両親を連れ出しました。
とは言ってもこれはカミ様の発案。
父はもう傘寿だし、母はここ2,3年で足が弱くなってきていています。確かに、年も年だし、来年以降、のんびりと何の心配もなく紅葉狩りができるとは限らないです。元気でいても、紅葉見頃の休日に用事があったり天気が悪かったりで、出かけられるとは限らないしとか、いろいろ考えると、今日のような条件どんぴしゃのときにみんなで出かけるのはアリだなと…と思いました。
こういう発想ができない(だからカミさんには「ドライだ」って言われてしまうんですが)わたしは、カミさんから提案されなければきっと何も考えずに、「いい天気だ-!」といつものように一人で遊びに行ってしまっていたでしょう。こう考えられるのは彼女の本当に偉いところ。
私と妻と両親とで4人の志賀ドライブになりました。ちなみに息子二人にも声をかけましたが、塾もあって今回は6人そろってとはなりませんでした。
あまり長い時間車に乗るのは負担になりますが、志賀なら小一時間。長野に住む良さを感じるのはこんなときです。
先週よりだいぶ紅葉が降りてきていい感じでした。平坦な散策路をぶらぶら。母は本当は松川渓谷の赤い紅葉が好みのようですが、志賀もいいところでしょ。
帰りはラーメン屋さんによってとんこつラーメンを食べてきました。少し親孝行ができました。
2011年10月おわり記
雄もがんばれ
約1ヶ月ぶりに灯台もと暗しの森の森を歩きました。一時期ずいぶん気温が下がって、前回は虫の姿がずいぶんと消えたように思っていたのですが、10月とは思えない暖かさになっていて、カが復活していました。
森はほんのり色づいてきた程度で、秋色はまだまだこれから。でもいろいろな実がなり始めていて、これから楽しそうです。
鳥はヒヨドリにホオジロくらい。ジョウビタキにはやっぱりまだちょっと早かったようです。
前回も見かけた大変立派なジョロウグモが、同じ場所で網を張っていました。お腹が特に立派で大きな個体だったので印象に残っていました。ここでずっとがんばっていたのだな…と親近感を勝手に持ちながら撮影。雌の上に小さな雄が見えます。彼にももちろんがんばってもらいたい。
2011年10月おわり記
静かな秋の森を
この時期は、戸隠の森で秋に通過する旅鳥を観察したいのですが、通っていた戸隠のあまりの混雑ぶりに、昨年あたりから足が向きにくくなっています。代わりに、ほぼ同じ時間で到達できる志賀方面の森に行くことが増えてきました。ちなみに、この日歩いたルートには、観光客や大砲カメラマンは入ってきません。混雑とは無縁です。
鳥の種類というと、やっぱり戸隠の方が環境というか、植生的に複雑なせいかいろいろ出る感じがしますが、この森も好きです。最初は広葉樹、標高を上げていくと針葉樹の亜高山帯の風景になります。
この日はコゲラ、キバシリ、キクイタダキ、ウグイス、ヒガラ、シジュウカラくらいで、鳥にはあまり恵まれませんでした。せっかく双眼鏡を持って行ったのにほとんど使いませんでした。
でも、人には数人に会っただけで、静かな森歩きを楽しむことができました。
標高1800弱まで登って、ちょっとした展望を楽しんでからのんびり降りてきました。午後の透過光が美しく、何枚もシャッターを切りました。
それにしても、志賀もいいけれど、戸隠が早く静かにならないかな…と思う次第です。車をとめるのもままならない、下手をすれば渋滞で動かない。少し家が出るのが遅くなればもうだめだと思ってしまいます。
観光収入、集客という面ではいいのでしょうが、わたしは静かな秋の森を歩きたい。
2011年10月おわり記
カミ様とブナの森
10月上旬、いつもはインドアなカミ様を連れ出してみました。ただ条件が大変に厳しく、
まずは、家を9時に出て3時までに帰れるところ。
加えて、景色がきれいなところ。
しかも、上り下りがあまりないハイキングコース。
おまけに、混雑をうまく避ける必要がありました(3連休の中日でしたので)。
10時過ぎについても、駐車スペースに余裕がなければなりません。
有名どころはだめだし…。
とりあえず最大装備を車に積んで出発、車を走らせながら考えることにしました。
交差点での決断?を繰り返し、たどり着いたのは標高1500mのブナの森。
いや、ブナの木を見たことがないって言うものですから。軽いハイキングコースなので、装備の大部分は車においてゴーです。
10月初旬のブナの森はまだ「色づいている」というほどではありませんでしたが、うっすら黄色がかった森の中の光が印象的でした。カエデやウルシ系の赤が彩りを添えていました。
これでもか!というたくさんの大きなブナの木を見ながら、とりとめのない話をして歩きました。普段はほとんど一人なので、たまにはこういう森歩きもよかったかな。
2011年10月おわり記
ヒバカリかわいや
相も変わらず地元の里山歩きです。同じところに何回行けば気が済むんだろうと、思う人は思うかもしれません。
ため池にはカルガモがいました。山道に入るとクマ注意の看板がありましたが、気配なし。
イカリモンガは見ましたが、最後までチョウを見ることはありませんでした。鳥はシジュウカラにホオジロ、ヒヨドリ。ちょっとさびしい。
帰りの山道で小さなヘビを見ました。威嚇のポーズはなかなかのものでしたが、毒蛇ではなさそうなので、ちょっと触ってみたらすべすべでした。後で調べたりツイッターで聞いてみたりしたところ、ヒバカリのようです。初めて見た気がします。
咬まれたら命がその日ばかり…というのが名前の由来の一説のようですが、どちらかというとかわいらしい印象が際立つヘビでした。ミミズを食うみたいです。
検索していたらヒバカリの飼育について解説してあるサイトがありました。AllAboutに「日本の美ヘビたちのピンチ」というコンテンツがあって、そこにこんな気になる記述が。
----以下引用
両爬界ではちょっとしたヒバカリブームのようです。(中略) 「なんで突然ヒバカリなのか?」と思われる向きも多いでしょう。実は最近(2003年3月)ネット上の通販、オークションサイトで、集団冬眠しているのを掘り起こしたと思われるヒバカリたちが大量に販売されているのです。確かにヒバカリはおとなしい・大きくならない・かわいらしい・マウスでなくても飼えると、一見いいことずくめのヘビですので、人気も高く、それが安価で販売されていれば飛びついてしまう方も多いでしょう。ところが飼いやすいかと言うと答えはノーです。細かく言うならば「1シーズンを楽しむだけならば簡単。それ以上の期間の飼育は難しい」ヘビなのです。(中略)これだけ大量に販売されてしまっているヒバカリたちが一匹でも多く幸せに生きることができるように、そして少しでも多くの子孫が残せるように、との思いで、最も適切と考えられる飼育法とそのポイントを今回は紹介し、買われて行かれた方々に実践いただきたいと考えています。
----引用ここまで
2003年の記事で古い話ではあるのですが、同じことはまた起きるでしょう。そして、おそらくヒバカリについてよく知っている人たちがこういうことを引き起こしているのだと思うと、何とも言えない暗い気持ちになります。
「ヒバカリ 飼育」で検索すると、結構多くのページがヒットします。やはり静かなブームになっていたのでしょうか。
爬虫類好き・ヘビ好きの人口は限られているので、個人的にヒバカリを捕まえてきて飼うことはあまり問題にはならないのかもしれません。
でも、業者が野生の個体を大量に採取して販売することは影響が大きいと思います。ヒバカリは普段それほど目にはつかないものの、市街地にも生息しているという記述をみつけました。それでも業者の大量採取が続けば、個体数を減らしてしまうことは避けられないでしょう。それはやめてもらいたいと思うのです。
同じようなことは熱帯魚業界についても言えます。繁殖が難しい種類や「ワイルド個体」の需要のために、業者による採集が行われています。なじみ深いところでは(熱帯魚ではないですが)藻の除去に活躍するヤマトヌマエビがそうです。
そのことを知ってから、ただでさえ長生きさせられなかったヤマトヌマエビを買うこと・飼うことはやめました。ヤマトヌマエビを購入することは、業者の大量採取につながるからです。もっとも最近は養殖も増えているようなのですが。
熱帯魚店でワイルド個体を選ばないことは、野の生き物を守るために大事なことだと思っています(あくまでも個人的な気持ちで、ワイルド個体を購入する方を非難するものではありません)。
ヘビを個人的に捕まえてきて飼うことは問題がないと先ほど書きましたが、昆虫の世界では、採集圧がすでに環境の悪化や変化などで大きく数を減らした種類に追い打ちをかける事態も起こっています。
子どものうちは大いに生きものを捕まえて飼うべし!と思うのですが(そんなもので減りはしないでしょうから)、やはり、基本的に「野の生き物は野におけ」というのが私の考えです。
2011年10月なかごろ記・追記変更あり
記事の移動・加筆のお知らせ
この記事をツイッターに流したら、虫屋さんから反論を受けました。
「個人の採集圧のみで種が絶滅したことはない!」
という反論でした。わたしもそんなことを書いた覚えはありませんでしたが、誤解を招きやすい表現だったことを反省し、指摘を受けた部分を書き直しました。上はその書き直した記事です。
しかし、そのやりとりはわたしにとって大変興味深いものでしたので、元の誤解を招いた文章も残し、そのやりとりから感じたことを改めて書いてみることにしました。
ただ、コンテンツとしては「野外手帳」より「自由研究」がふさわしいので、記事を移動しました。
よろしければ、自由研究「虫屋さんがわからない」をお読み下さい。