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虫屋さんのいろいろ

自由研究「虫屋さんがわからない」の続きです。

どこで採集圧のみで昆虫が絶滅したの?

という私への問いかけが始まりでした。詳しくは「虫屋さんがわからない」、またはツイッター上でのやりとりは、一部ですがまとめて下さった方がいるので(多謝)、それをご覧下さい(こちら)。

その反論に呼応して、虫屋さんから次々に「採集圧への疑問」がツイッターに書き込まれました(ここまでは、前回の「虫屋さんがわからない」に載せたものです)。
ちなみに「虫屋」という言葉は、昆虫愛好家・昆虫採集愛好家という意味で使っています。

希少種の話をしているのに、大繁栄しているゴキブリの駆除を持ち出す感覚がちょっとわかりませんでしたが、まあいいでしょう。
ただ、「希少種に対する採集圧」とは微妙に論点がずれてきていたことは確かでした。

ミヤマシロチョウ

もっとも、最初から論点はずれていたのです。例えば、

という発言は、全くその通りだと思いました。

私は、すでに環境の悪化や変化などで大きく数を減らした種類に、採集圧が追い打ちをかける事態について書いたつもりでした。環境破壊が前提なのは同じです。

絶滅を防ぐためには、採集を控えることよりも環境の保全が第一であることに異論はありません。昆虫をよく知る人たちが知見を出し合い、開発でその生息環境を失うことがないようにしていくことが、絶滅を防ぐ重要な活動になるはずです。

採集圧のみでと言い始めたのは、反論を寄せた虫屋さんたちです。自分たちで「採集圧」に限定してしまう論理展開は少し不思議でした。

「絶滅」という言葉が頻繁に出てくることも予想外でした。これも反論をしてきた虫屋さんが使い始めたものです。
「採集で絶滅した例はない」というのが代表的な言い回し。「採れるものなら採り尽くしたい」という言い方もよく目にしました。大量に採集したいという願望があるのでしょうか。

大体、「採集圧=絶滅」という話をしていたつもりはなかったのです。

私の感覚では、「絶滅」はできるだけ避けなければならないことです。だから、採集や乱獲で絶滅した例があるのなら、それはもうとんでもない。

過去に、採集乱獲絶滅例がないことはある意味当然でなければいけないと思っていたので、そういう言い方にも違和感を感じました。また、絶滅するかどうか(しなければいいのでは?)という話に感じて、それにも抵抗がありました。

このあたりは、鳥と虫との「絶滅しやすさ」の感覚の違いなんでしょう。そして、鳥にはそういう悲しい例がある。

環境破壊をたたかずに虫屋を叩くのはけしからん!的な意見もいただきました。
わたしが書いたのは主にヘビのヒバカリの話で、昆虫採集を主に論じたわけではないので、それにはちょっと困りました。

そんなわけで、話はどんどんかみ合わなくなっていきます。

でも希少種には採集圧はかけないほうがいいんじゃない?

虫屋さんが、「採集で絶滅した例はない」という言い回しを「採集圧による絶滅はあり得ない」という意味で使っているのは分かりました。
これは後で教えてもらったのですが、「ぷろてんワールド」というサイトを読むと(以下引用)

とありました。これは最初に反論ツイートをしてきた虫屋さんの主張と重なります。

こういうのを読むと、よく昆虫のことを知らないくせに、「採集圧が個体数を減らす」という記述を入れたのは勇み足だったか…と反省しました。私は書物などから()そういう例があると思っていたのですが、確かに現場は知りません。

虫屋さんはきっと、「何も知らないくせに!」「トリヤが何を言うか!」とカチンと来たのでしょう。

ベニヒカゲ

でも、、前回の記事で書いたように、悪いのは環境破壊であっても、採集を控えて個体数の存続を助けるのは当然であるという考えは変わりませんでした。希少種に対して、本当に採集圧がないと言い切れるのかという疑問がぬぐえなかったのです。

ただでさえ数が減った動植物に追い打ちをかけるような行いはやめるべき。それは昆虫だけでなく、すべての生きものの保全について当てはまる姿勢なのではないか。

採集圧はあるよ?

そうこうしているうちに、ツイッター上では他の虫屋さんから、採集圧問題について返信をいただいたり、またそういう方の発言を読む機会が増えたりしてきました。一部を引用します。

同じ虫に関わる方でも、こうも見方が違うのかと、驚きました。これらの意見を寄せた虫屋さんの中には、昆虫採集愛好家以外にも、研究者の方や保全活動に携わっている方がいました。現場を知る方々です。

本当は採集圧があることは分かっていても、それを言ってしまうと自分たちの首を絞めることになるので、採集圧などない!と言うのかな?と邪推してしまいそうになりました。

ミヤマモンキチョウ

繰り返しますが、ツイッター上での議論は、「採集圧などない!」と主張する虫屋さんの反論から始まりました。でも、それは虫屋さんの中で、普遍的な考え方ではないようです。

なので、希少種を守るためには、やはり「採集圧はあるかもしれない」くらいの慎重な姿勢をとることがよりよい選択だろうと、改めて思いました。

一番大事なのは種の保全です。
できることはする。
採集圧の影響が大きいと考えられる種や地域個体群は採集をしない。
結果的に種の保全ができればいい。

採集はしても個体数は減らないだろうという楽観的推測や、採集はしたけど絶滅はしなかったというような結果論をもとに考えるのは、希少種の場合は少し乱暴すぎるのではと思いました。

虫屋もいろいろ鳥屋もいろいろ

この方の発言をよんで、私に反論してきた方は、希少種でも採りたいと考えている人たちだったのかなと思いました。もちろん、その気持ちは分かります。鳥だって、珍しい鳥がくれば見に行きたいのは当然の気持ち。

だから、虫屋さんにもいろいろいるということだと思いました。保全のことを第一に考えている虫屋さんもいれば、そうでない方もいる。今回一番勉強になったのは、虫屋さんとひとくくりにして論じても意味がないということです。

ツイートを見ると、もう昆虫愛好家とは言えない、業者やいわゆるマニアもいるらしいです。

でも、現場で会っても、私には見分けはつかないでしょう。

同じような問題は鳥の世界にももちろんあります。鳥屋にもいろいろいる。ちなみにここでの「鳥屋」とは、野鳥観察愛好者(バーダー、バードウォッチャー、探鳥者)、野鳥カメラマンという意味で使っています。

大勢でアカショウビンの巣の前にずっと陣取ったって、アカショウビンが絶滅することはないでしょう。でも、それはアカショウビンの繁殖に悪い影響を与える。来年もここでアカショウビンを見たければ、それはやめるべきだと私は思っています。でも、そうは考えず、長時間巣の前に居座ったても平気な人もいる

そして、端から見れば同じ鳥屋であります。

本当に鳥屋にも虫屋にもいろいろいるということなのですね。

2011年10月おわり記

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