自由研究

自由研究インデックス

2006年9月までの無駄な抵抗(自由研究※)

2006年10月からの新コンテンツです。
頭の片隅に巣くっていたり、ふと脳裏をよぎったりしたことを載せていきます。

これまでの野外手帳にもそんなような内容が時々あったので、そこからコピーした分を以下に載せました。
特に加筆訂正はしてないですし、過去の野外手帳からの削除もしてません。

2006年10月はじめ記

※2009年1月に「無駄な抵抗」を「自由研究」に改題しました。リンク名など「無駄な抵抗」のまま残っているものがあります。

2009年1月なかごろ記

わかりあえない夜・その後

「わかりあえない夜」はこちら

営巣写真の投稿と公開に賛成できない旨を書き込んだ掲示板。
撮影者の方から「配慮はしている」、管理者の方から「投稿者は愛情を持って被写体に接している」という趣旨の回答をいただきました。

撮影者の「配慮」ですが、子育てはもう終わっている云々とのお話で、どうもかみあわないと思ったら、子育てが終了するまでは(今回は途中でヒナが捕食されてしまったわけですが)画像を公開しないという内容の「配慮」でした。
私はサンコウチョウの営巣に対する配慮を考えてほしいという意見でしたので、写真を見るヒトへの配慮では話がかみ合わない訳です。

子育てが終了するまでは公開しないというのは、webでよく見かける「マナー」です。でもそれはなんだか納得できません。その場所が特定され、大勢の人が来てしまうことを避けるという意味合いがあるようですが、来季以降はどうなってしまうんでしょうか。また、営巣場所の近くで長時間待ち構えることの問題意識を感じません。

ご自身の撮影や投稿に問題点はなかったのか…と振り返ってはいただけず、もちろん営巣撮影に際してどのような配慮をされたのかにも、触れてはいただけませんでした。
そして返す刀で、なんでもいけないいけないというのではなく、写真を見る側に心のゆとりが必要ではないですかと、ばっさり切り殺されてしまいました。無念。(^^;)
勇気を持ってコメントをつけましたが、無駄死にでした。

この方のサイト(野鳥系のサイトではなく、いわゆる写真サイトですが)は、人気のあるサイトですので、ヒナへの給餌写真は多くの方の目を楽しませたことでしょう。珍しい鳥の写真素晴らしいですねと、たくさんの書き込みがありました。
こうした声が励みになっているのか、今度は珍鳥を撮りに行かれるみたいです。

管理者の方は、営巣写真には注意が必要であるとの認識を持たれていましたが、このサンコウチョウの営巣写真を撮った方については、被写体に愛情を持って接し撮影に注意もしていたようなので、問題ないという見解でした。

私には、撮影者のコメントからはサンコウチョウへの愛情や配慮は読みとれませんでした。この方は被写体の一つとして鳥を選んでいるのだと感じました。

…でも、いろいろな方の意見を聞きながらわかってきたことは、この問題、実は全て自分のことでもあったということです。ちょっと恥ずかしくなりました。
自然には謙虚な気持ちで接すること。自分の行為がどのような影響を与えるか、注意深く慎重でなければならないこと。欲に駆られた自分に気付くこと。果たして自分はどうだったのか。

結局、批判は自分の来し方に向いていきました。振り上げたこぶしで自分の頭をたたいたようなものです。

鳥山絵葉書の掲示板に書き込んで下さった方の多くは、この話をご自身を見つめるきっかけとして考えていました。そのおかげで、私も自分自身の問題だったと気づけた次第です。素晴らしい方々だと改めて感じました。ありがたいことです。
わかりあえないと嘆くよりも、自分をわかるようになるべきだと思いました。

少しポジティブになれた夜のランニング。
路面は乾いていますが、まだ雨の匂いが残っている感じがしました。路面からふわりと大きな影が飛び立ちました。ゴイサギです。
ひんやり湿った大気の中、街灯からぐんと伸びる影に追い越されながら走ります。

2006年7月おわり記

わかりあえない夜

いつだったか、ヒナを飲み込んだ憎きヘビを血祭りに上げてやったと、正義感剥き出しに掲示板に書き込んでいる方を見ました。血まみれヘビの画像がついていました。
私だって鳥は好きですから、気持ちが全くわからないわけではないのですが、やってはいけないことがあると思いました。

最近、営巣写真をあちこちに投稿している方を見かけました。
ある掲示板では、管理者によって画像は削除されたのですが、その意味を理解しようとはしなかったのか、投稿は続きました。

そして、ある巣では撮影に通う中でヒナの姿が消えたと投稿者が書き込んでいました。
人が巣に近づくことは、カラスに巣の在処を教えることになるかもしれない…なんてことはご存じないかもしれません。「ヒナの事故は自分が一因かも」と想像することさえないのは、鳥たちにとっても悲しいことです。

警戒して辺りを飛び回る親鳥を追いかけた画像もありました。もちろん、ご本人の「問題だよねぇ」という書き込みがなければ、そういう状況とはわかりませんでした。
問題だとわかっていて投稿するのは理解できませんが、乏しい想像力を働かせてみると、撮影時の快感を反芻するため?といったところでしょうか。

見ず知らずの方に「それはよくないと思います」なんて書き込めない小心者の私でした。もやもやしていたのですが、ちょうど運良く?掲示板を通じて存じている方が、営巣中と思われるサンコウチョウの写真を投稿していたので、思い切って「投稿に賛成できません」とコメントしてみました。

実際にそうなってしまったという事例を体験した訳ではないのですが、撮影や観察で抱卵・育雛放棄しかねないというナイーブなサンコウチョウです。
サンコウチョウの営巣見に行かない?なんて誘われたら、とーおーくからこっそーりならいいか。でもやめておこうか。揺れますね、きっと。
もちろん、私にそんな誘いなんて来ませんので、無用な心配ですが。(^^;)

わかりあえそうもない夜のランニング。
日付が変わろうとする時刻なのに夜風は生暖かく、汗がだらしなくTシャツと背中の間を流れていきます。
月と雲が妖しく美しい陰翳を創りだしていました。刻々と表情を変えていく空の下を走ります。写真に撮ってもきっと何も写りません。写真なんてそのくらいのもの。
鳥たちの生活を脅かしてまで写真を撮ることに、一体何の意味があるのでしょう。

花を撮るときにも、一歩近づきたいがために道でない場所に踏み跡を広げてしまう。「邪魔な」葉っぱや枝を取り除いてしまう。そういう犠牲を払って得られるモノは自己満足であったり、画像BBSでの常連さんのお褒めの言葉だったりするわけです。
それが私にはわからない。

営巣写真が問題だと考える理由は以下の通りです。私見です。

・長時間の撮影(待機)によって鳥の繁殖にストレスをかける可能性があること。特に数を減らしている夏鳥など、慎重に対応すべき種があると思います。
・上にも書きましたが、鳥の巣に近づくことで捕食者に狙われやすくなる可能性があること。
・撮影そのものに問題がなくても、出版・公開された写真が営巣写真を撮ろうとする人々を増やし、繁殖場所の特定につながり、結果的に鳥の繁殖に悪い影響を与える可能性があること。以前は写真図鑑や雑誌でも営巣写真をよく見かけましたが、最近ではなるべく掲載しないことが出版の世界では共通認識になっているものと思います。しかしwebでの公開にはかなり問題のある状況ではないでしょうか。

「可能性」ばっかりですが、そのくらい臆病でちょうどよいのだと思っています。
もちろん、学術調査や、巣と人との距離が伝統的に?もともと近い場合(軒先のツバメや神社のフクロウなど)、遠くから見通せる巣の場合(鉄塔のカラスや芽吹き前の森のキツツキなど)のように許容できるもの・ケースはあるのでしょう。

2006年7月なかごろ記

ゴーヤヘビ

ゴーヤヘビ

野外手帳的なネタではありませんが、たまには家族の作品などご笑覧下さい。

このとぐろゴーヤがとれた場所はうちの畑。
目をかいたのは母。
舌をつけたのは父。
撮影はワタクシです。

2006年8月おわり記

「トリノオリンピック」開幕に寄せて

最近どうも寒すぎるのでどうしたんだろうと思っていましたら、よたろうさんがこんな記事(鳥のオリンピック)をアップされていました。震えが来るわけです。

鳥に「アマチュア」と「プロフェッショナル」は存在するのかという大変興味深い問題に言及されていましたので、私なりに調べてみました。

アマチュアで、すぐ思いついたのがアマサギ。野鳥界のアマチュア代表選手でしょう。

そして、もちろんアマツバメです。この仲間はたくさんいて、 まずはハリオアマツバメ、ヒメアマツバメ。日本国籍を有していない選手まで挙げると、 ヨーロッパアマツバメ、 シロハラアマツバメ、 ムナジロムジアマツバメ、 シロエリアマツバメ、 エントツアマツバメ、 カンムリアマツバメ、 シラヒゲカンムリアマツバメなど結構な大選手団となりそうです。

そうそう、アマミヤマシギを忘れていました。ややマイナー競技の選手という感じです。私は一生見ることなさそうです。

アマについてはこのくらいにして、 プロフェッショナルの方なんですが、こちらは難航しました。 近代オリンピックでは、やはりプロの参加は認められていないのです。 しかし、古代「鳥のオリンピック」にはプロの参加があったことを知り、この事実に驚愕しました。 その名も「プロトプテルム」。 くわしくはこちらをどうぞ。

さて、トリノオリンピック開幕まで、あと2時間です。

参考にした書籍/「コンサイス鳥名事典」(三省堂)1989年版、「鳥の写真図鑑」(日本ヴォーグ社)1995年版、「日本の野鳥590」(平凡社)2000年版>

2006年2月なかごろ記

昨日の紅白

野外手帳的じゃない話ですがご勘弁を。

大晦日の紅白はいつも何となく見てしまいます。具合の悪い(ひとりごとをご覧下さい)息子につきあっていたのでちらちらとしか見なかったのですが、その中で衣装について感想3つ。

その1…氷川きよしさんの衣装デザインのモチーフは絶対「蛾」だと思いました(賢明な皆さんにはすでにおわかりと思いますが、これは悪口ではありません)。

アオフウチョウその2…小林幸子さんの変身前の髪型から、 ミツカドコオロギの顔を連想してしまいました(昆虫でしたら変身ではなく変態ですね。でもコオロギですから、不完全変態です)。

その3…倖田來未さんの衣装とステージは、強いて言えばアオフウチョウ求愛ディスプレイでしょうか。イラストの天地は逆ではありません(逆J字を描いて垂れ下がっているのは、長い尾羽です)。

アオフウチョウ:「全長約30cm。(中略)ニューギニア中央東部の標高1300-1800mの森林に生息。(中略)ディスプレイは枝にぶら下がり、脇の飾羽を広げ、体を左右に振り動かす。」以上引用『コンサイス鳥名事典』三省堂1989版より。

こんな私ですが、今年もよろしくお願いします。

2006年1月はじめ記

矢ガモ騒動を思い出した(バンディング論議周辺の違和感)

野鳥系サイトで、バンディング(野鳥を捕獲し足輪などの標識をつける調査)問題が取り上げられつつあります。科学的な成果を得られない(また得ようとしない)標識調査であるならば、これ以上鳥たちに負担をかけることやバンディングの制度を見直すべきだという主張です。

そうならば、その通りだと思います。詳しいことはここあたりを読んでみて下さい。
無駄に命を落とす鳥たちがいるなら、それはかわいそうなことだという感情を持つことは自然なことですし、その感情を根っこにバンディング批判を展開することは理解できます。

※なお、ここから先は本質的なバンディング問題やそれについての論議とは無関係です。

今でこそ税金で運用されている調査がこれでよいのかという趣旨が中心のようですが、最初は、かわいそう!小さな命を大切に!という論調ばかりでした。
そういう意見表明をいろいろなサイトやブログ、BBSで拝読するたびに、いがいがとしたものがのどに引っかかりました。

矢ガモ思い出すのは矢ガモ騒動。1993年2月6日の新聞切り抜きが手許に残っています。
見ると、石神井から不忍池に飛んできたオナガガモのメスの背中に、矢が刺さっている様子が写っています。痛々しいです。

カモの映像が連日報道されました。動物の虐待だ!あんなコトする人間は許せない!恐ろしい世の中になった!!と日本中が大騒ぎになりました。
でも、オナガガモは狩猟鳥です。撃って殺してもいいと認められている種類です。

1羽の矢ガモに日本中が「かわいそう!」と悲鳴をあげていた2月は狩猟期間。オナガガモに限らず、たくさんのカモ、鳥たち、獣たちが撃たれ殺されていたわけです。
以前から、ハンティングに対してあまりいい感情を持っていなかった私は、矢ガモ騒動のあまりの大きさに何を今更と変な憤りを感じたのでした。矢ガモの命を救えというのが世論なら、なぜカモの狩猟は「かわいそう!」「虐待だ!」「人間として許せない!」どころか、問題にさえならないのか。

報道も世の中の関心も、他の大多数のカモの命について深まっていくことはないように見えました。「かわいそう」って、こんなものなのだと思いました。憤りはハンターに対するものではなく、正義感の底の浅さへのものでした。

話をしたり、本を読んだりして考えました。かわいそうなことは何で、かわいそうじゃないことは何なのか。守るべき小さな命と、そうでもない命、その道徳的な価値観はどこから生まれてくるのか。

狩猟は小さな命をいたぶる心ない行為なのか。じゃあ釣りはどうなのか。釣り人は残酷な行為を楽しむ人たちなのか。
鯨はかわいそうだから食べてはいけないのか。馬刺を食べることを許せない人に、馬刺がうまいと思う私はどう説明すればいいのか。牛や豚や鶏はかわいそうじゃないのか。自分が殺さないだけじゃないのか。昔は鶏をひねって食べることは珍しいことではなかったはず。

結論は出ませんでした。人の考え方や生き方を否定するだけの、決定なものを見出すことはありませんでした。単純な線引きではくくれない、白黒つけられないものだということは、今でもぼんやりと考えています。

例えば、狩猟や釣りは自然との向き合い方なのだと思います。小さな命を大切にという道徳からは当然外れるものですが、だからといって反道徳的な行為と思う人は少ないでしょう。
野菜の収穫のためには害虫を殺さなければなりません。
人が生きていくとは、食に関わることはもちろん、ただ生きていくだけで他の生き物に「かわいそう」なことを強いることでもあると思います。
だから、せめて畑のオヒシバを抜くときにも、根っこの強さに驚ける(命を感じられる)人間でいたいです。そこは自覚的でありたい。

例えばバンディングの問題でも、それ以外のことでも「小さな命を大切に」という観点で論議をしていくのは、とても乱暴だと思います。
自然と人間との関わりはあまりにも複雑ではないですか。
私は鳥を見て、山に登り、自然にプレッシャーやインパクトを与えています。
本当に鳥や山岳環境を大事にするなら、出かけないことが最善です。鳥を見ること、山に登ること、生活すること、全てグレーゾーンです。

2005年9月おわり記(改題・一部加筆訂正してます)

夢の続き

日頃の不摂生がたたって、ついに医者に薬を処方してもらう羽目になりました。どうしても休めなかった木・金は、薬の力でなんとか乗り切りましたが、天気がいい爽やかな今日土曜日、インドアで冴えない長い一日です。こんなの書いているんだから、もうだいぶいいんですけど。

薬の副作用なのか、ひたすら眠りこけていました。夢を見ました。メジロの巣立ちビナを拾ったのです。
ガラスにぶつかって脳震盪を起こしたのか、気を失っていましたが、しばらくして気がついたようでした。あたたかなぬいぐるみを手の中に包んで、親鳥を捜して歩きました。

本当はヒナを拾ってはいけないのですが、夢の中なので許していただきまして、メジロの声が落ちてこないか、梢を見上げて歩いていました。
しばらく歩いていたら、オトウサンここで寝てたの!と息子が起こしに来て目が覚めました。親を探していたら、いつの間にか探されていました。お後がよろしいようで…。

2004年5月なかごろ記

pine nuts

こんなもので子育てが出来るの!?と、スーパーでつい松の実(パイン・ナッツ)を買ってしまいました。 なんの子育てかって、そりゃイスカですよ。

「…親鳥は松の実ばかりを集め、そのうという器官にたくわえてきたものを吐き戻して給餌する。」※1

中国産。50g208円でした(このスーパーはすでに総額表示方式に移行)。
「ピノレン酸が豊富でコレステロールや血圧の上昇を抑制し、肝脂肪を低下させると言われています。 100g当たりエネルギー669kcal。脂質68.2g、蛋白質15.8g、植物繊維4.1g。」※2

栄養満点です(よくわかりませんが)。
がばっと贅沢に頬張ると松の香り。しばしイスカ気分。

※1 引用 「鳥のおもしろ私生活」ピッキオ編著・主婦と生活社
※2 引用 「ナッツコレクション」包装PP袋裏面・株式会社双葉

2004年3月はじめ記

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