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死滅回遊魚と季節来遊魚

死滅じゃなくて季節?

2025年11月30日のNHK「さわやか自然百景」は「伊豆半島 雲見の海」がテーマでした。

イサキの群れ、愛らしいイロカエルアンコウ、透明な体を持つサクラテンジクダイなど、興味深い海中生物が次々に紹介されていきました。

番組の終盤、コガネスズメダイ、ミツボシクロスズメダイ、ウメイロモドキの幼魚が登場し、「南の海で生まれ黒潮に乗って流れ着いた季節来遊魚と呼ばれる魚です」というナレーションが流れました。

このとき、私は「あれ?」と思いました。「死滅回遊魚」という言葉は知っていましたが、「季節来遊魚」という表現は初耳だったからです。

ナレーションはさらに「季節来遊魚は水温が下がる冬には姿を消すつかの間の訪問者です」と続きました。この説明から、「季節来遊魚」は「死滅回遊魚」と同じ意味を持つ言葉であることがわかりました。

ちなみに死滅回遊魚・季節来遊魚とは以下のような魚のことです。

----------以下引用(新江ノ島水族館「えのすいトリーター日誌」より
季節来遊魚とは、特定の季節にやってくる(来遊)魚です。主に南の方の暖かい海から関東周辺に流れ着き、冬の水温低下に耐え切れず死んでしまうので別名「死滅回遊魚」とも呼ばれています。
----------引用ここまで

言い換えの背景

そこで検索してみると、かつて「死滅回遊魚」と呼ばれていたものが、近年では「季節来遊魚」と呼ばれることが多くなった、という記述が数多く見つかりました。上の「えのすいトリーター日誌」もその一つです。

しかし、さらに情報を追っていくと、この「季節来遊魚」という言葉には、妙なセンチメンタリズムが漂っているなと感じ始めました。言い換えが進んだとされる理由が、次のような心情的なものに帰結していたからです。

@まず「死滅」という言葉の印象が悪い。
A潜って出会えるサンゴ礁性の美しい魚をそう呼ぶのは悲しい。
Bそこでダイビング業界が「季節来遊魚」という言葉を作り出した。

「回遊」という言葉が、産卵など特定の目的を持った能動的な行動を指すのに対し、これらの種は黒潮に乗って偶発的にやってくるため、表現として合わないという理由もあるようです。

ただ、この理由だけならば「死滅来遊魚」とすればよかったはずです。しかし、そうならなかったのは、結局はダイバーの心情を慮って「死滅」という言葉が避けられるようになったという実態が透けて見えます。

ダイビング業界だけでなく、水族館などでの展示でも、死滅回遊魚という紹介がネガティブなイメージをもたらしてしまうという問題があったようです。教育的配慮といえばそうですが、結局はこれも「語感が悪い」という心情論です。

つまり、この言い換えは、縁起が悪いから「するめ」を「あたりめ」としたのと本質的に同じです。私は正直「なんだかな」と思ってしまいました。

死滅は不都合な真実なのか

個人的には、「死滅」という言葉にこそ、この魚たちの壮絶な「生き様」が凝縮されていると感じていました。その場所で越冬できずに命を終えるという生態上重要な情報を、「季節来遊魚」という言葉は曖昧にし、誤魔化しているように感じてしまうのです。

大げさに言えば、美しく愛らしい魚たちの多くがやがて命を落とすという不都合な真実から人々を遠ざけ、自然の厳しさや命の尊さを軽視している言葉のようにも思えます。ダイビング業界や水族館での展示のための親しみやすいイメージが、科学的な事実より優先された結果だと言ってもいいかもしれません。

近年、地球温暖化によって水温が上昇し、冬になっても死滅しないケースが一部のエリアや種類で出てきているという話も聞きます。もし、この「死滅」しないケースの増加こそが、呼称変更の主要因であるというならば、まだ納得できたかもしれません。しかし、実態は心情的な理由が先行しているように見えます。

ちなみに、生物学的には、分布を広げるものの、繁殖できずに一生を終えるこの現象は「無効分散」と呼ばれているそうです。この「無効」という言葉こそが、彼らの生態的な厳しさを最も正確に表しているように思えます。

2025年11月おわり記

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